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RCCの用語集

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002オプティロンメーター
003オドメーター
004オイルバン
005エンジンマウント
006エンジンブレーキ
007FF
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001スーパーチャージャー
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006ターボチャージャー

001ポジショニングランプ
002ブレーキキャリバー
003フォグランプ
004ハイドロプレーニング現象
005ハロゲンランプ
006ハイオク
007ハイブリットエンジン

001ミニバン
002マルチリンク式サスペンション

0014DW
002レシプロエンジン
003リフレクター
004ラジエーターグリル

 
 
002レシプロエンジン
レシプロエンジンとは、自動車のエンジンとしては最も一般的な エンジンで、クランク機能というピストンの直線運動を円運動に変える 機能を使い、動力を得ているエンジンです。 往復動型機関の最初の記録はオランダのホイヘンスで、1680年(延宝8年)に火薬を使って動力を発生させる考えを発表したと伝えられる。ホイヘンスはピストンと真空を熱機関として利用しようとする祖と認められている。ホイヘンスの案はシリンダー(筒)の最下部に燃焼部、最上部にピストンがおかれていた。燃焼部で火薬を燃焼させ、この燃焼により発生した高温の空気が上部の弁から抜けていくだけのものだった。弁は一方通行の不還弁であり、空気が抜けたのちシリンダーが冷えれば内部の圧力が低くなり、当時発見されたばかりの真空の力により最上部のピストンが下降する際に力を及ぼすというものである。当時は火薬の爆発は危険なものとされており、ホイヘンスの考えも真空利用の静粛性が特徴である。当時は内燃と外燃の区別はされず「熱から動力が生み出される」という考えであった。 その後、フランスのアッベ・フォートフュイユやイギリスのモアランドらの創案があるが、これらも試作はされていない。 ピストンエンジンはピストン型蒸気機関の祖といわれるドニ・パパンの蒸気機関で実現した。ドニ・パパンはホイヘンスとも親交があり、ホイヘンスの案を試作し検証したものの、当時の技術では火薬の燃焼、ピストンや不還弁の製作は難しかった。そのためパパンは直接火薬を燃やすことではなく、外部で発生させた蒸気によって圧力を高める蒸気機関とした。火薬の燃焼の代わりに蒸気を使う点を除けば、ホイヘンスのものと変わらない。 その後、セイヴァリが英国で特許を取得し、1705年(宝永2年)になってニューコメンの改良により実用的な蒸気機関となった。ニューコメン蒸気機関は、英国では炭鉱の水を抜き取るための排水ポンプ用途に使用された。 ニューコメンが最初に機関を発明した時代は、その動作は非常に緩慢なものであり、バルブの開閉は人手で行われていた。このバルブ開閉の進歩が蒸気機関の普及を促した。ニューコメンの「大気圧機関 (Atmospheric engine)」のバルブの改良は、バルブの開閉操作員だったハンフリー・ポッター (Humphrey Potter) という少年により1713年(正徳3年)にロープや滑車を利用した最初の自動化の工夫がなされ、1718年(享保3年)にヘンリー・バイトン (Henry Beighton) がさらに改良を重ねた。ジョン・スミートンがさらにさまざまな改良を施した。 50年以上もの間改良されながら1770年(明和7年)頃まで広く使われていたニューコメン式の蒸気機関であったが、ここまでの蒸気機関は、往復運動をそのまま直線的動力として利用するものであり、しかもその力は往復以前に往だけの片道通行の利用だった。 回転の作用 [編集]ジェームズ・ワットは根本的に改良を加えた往復動蒸気機関を考案し、1769年(明和6年)に英国で特許を取得した。これは本格的な回転動力の実用化に至る道でもあった。 ピストンの往復の動きを回転運動として利用した最初のエンジンは、ワットの特許と同年の1769年、フランスで考案された蒸気動力の牽引車、キュニョーの砲車である。これはピストンロッドの先のクランクにラチェットを用いて回転運動に変換するものだった。 次いで英国でワットの元で働いていたウィリアム・マードックが遊星ギアを利用して回転運動を得ることを着想し、蒸気自動車を作成した。この往復運動を回転運動にする特許はマードックではなくワットが取得している。ワットらはクランクシャフトを利用したかったが、同時期に特許がすでに取得されており、その使用にはワットの蒸気機関の特許との交換条件を持ち出されたために使用しなかった。遊星ギアはクランクシャフトに比べて往復運動の回転運動変換の効率が悪く、ワットは後年、特許使用可能になったクランクシャフト方式に乗り換えている。 1801年(享和元年)にトレビシックが蒸気自動車を製作し運転した。トレビシックはさらに1804年(文化元年)に世界最初の蒸気機関車を制作し、試運転を行っている。 1820年(文政3年)、イギリスのW・セシルが水素ガスを燃料とした真空利用の大気圧機関を製作し、60rpm(回転/分)の動きを実現した。爆発時の騒音が問題となったがこれが世界最古のガス機関として認められている。しかし当時は蒸気機関の実用化の時代となり、ガスエンジンはその後の研究があまりすすまなかった。 イギリスでは続いて発明家のサミュエル・ブラウンが、ガス真空機関(真空エンジン、用気エンジン)を1823年(文政6年)に開発に成功。内燃機関だったが、爆発の後に生じる真空によりピストンを引き戻すことにより往復運動をおこなうものであり、大気圧利用という点ではトーマス・ニューコメンの蒸気機関そのままの原理であった。1825年(文政8年)には車両に載せられ、この真空機関付き自動車は1826年(文政9年)の試運転で10.5分の1の勾配をたやすく登った。1827年(文政10年)にはテムズ川で船に真空エンジンを載せ公式試運転を行い、11 - 13kmを記録している。これらの実績によりブラウンは内燃機関の歴史において功績が認められており、また、ブラウンのエンジンは実用になった最初のガス機関と認められている。もっとも、当時は蒸気機関全盛の時代であり、普及には至っていない。 1833年(天保4年)には、イギリスのW.L.ライトがガス爆発機関の特許を取得している。実際に製作されたかどうかは確認されていないが、後年、ガス爆発機関としてはこの設計は完璧であり、製作されていればブラウン以上の能力が出せたと評価されている。 ウィリアム・バーネットは1838年(天保9年)に2サイクル圧縮型エンジンと独自の点火プラグを開発した。 イタリアのバルサンチとマテゥチは1855年(安政2年)に世界初のフリー・ピストン・エンジンを創案する。爆発により上方に上がったピストンが重力により落下することを利用したもので、動力はピストンのコネクティングロッドからラチェット付きで一方向回転するギアを使って取り出した。極めて騒々しく、振動も激しかったが、内燃機関の点火自体が不安定だった時代にはこれでも比較的効率が良かった。

 

 
 
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